これは、ある地方都市でひっそりと語られている噂だ。
ネットにはほとんど残らない。掲示板に書き込まれても、なぜか数日で消える。
そして――実際に体験したという人間は、その後ほとんど語らなくなる。
噂の名前は、
「増える部屋(ふえるへや)」。
■ 1. ありふれたワンルーム
舞台は、ごく普通の賃貸マンションだ。
駅から徒歩10分、築20年ほど。
外観はどこにでもある灰色の箱。
家賃は相場より少し安いが、安すぎるほどではない。
間取りは1K。
玄関、ユニットバス、キッチン、6畳の部屋。
何の変哲もない。
ただし――
“ある時間”だけ、間取りが変わる。
■ 2. 夜の三時
噂によると、条件は三つ。
1つ目。
午前3時ちょうどに、その部屋で一人きりでいること。
2つ目。
電気をすべて消し、カーテンを閉め、
完全な暗闇を作ること。
3つ目。
その状態で、心の中でこう念じる。
「部屋が、足りない」
声に出してはいけない。
あくまで、心の中で。
すると――
部屋が増える。
■ 3. 最初の異変
体験者の話は、だいたいここから始まる。
最初は音だ。
「ミシ……」
「コト……」
壁の奥で、何かが動くような音。
建物の老朽化だと思い、気にしない人もいる。
だが次第に、音ははっきりしたものに変わる。
「……バン」
まるで、隣の部屋から壁を叩く音。
しかしおかしい。
隣室は空き部屋のはずだ。
管理会社に確認しても、入居者はいない。
そこで、ふと気づく。
壁が、近い。
昼間は確かに6畳あった部屋が、
夜中になると、微妙に狭く感じる。
数センチ――
いや、数十センチ。
■ 4. “扉”
ある瞬間、
「カチ……」
と小さな音がする。
部屋のどこかに、
**“見覚えのない扉”**が現れる。
押し入れでも、クローゼットでもない。
白く、取っ手のない、のっぺりとした扉。
開けると――
同じ部屋がある。
同じ床、同じ壁、同じ天井。
だが、どこか微妙に違う。
・照明の位置が数センチずれている
・コンセントの数が一つ多い
・壁紙の色がわずかに濃い
コピーのようで、コピーじゃない。
そしてその部屋にも、
また扉がある。
■ 5. 増殖する間取り
扉を開けるたび、部屋は増えていく。
2つ目。
3つ目。
4つ目……。
最初は好奇心が勝つ。
「何だこれ?」
「夢か?」
「疲れてるのかな?」
だが、5つ目を超えたあたりから、
違和感がはっきりと恐怖に変わる。
部屋の中に、
生活感が出てくるのだ。
・誰かが使ったような歯ブラシ
・生乾きのタオル
・食べかけのカップ麺
そして、
自分と同じ服が、床に落ちている。
■ 6. 気配
部屋が増えるほど、
「一人じゃない感覚」が強くなる。
視界の端で、
誰かが動いた気がする。
振り返ると、何もいない。
だが、足音は確かにある。
コツ……
コツ……
自分の歩幅と、まったく同じ。
■ 7. ルール
この都市伝説には、
**“暗黙のルール”**がある。
・増えた部屋で眠ってはいけない
・鏡を覗いてはいけない
・「元の部屋」を忘れてはいけない
特に最後。
元の部屋――
最初にいた、現実の部屋。
これを忘れた瞬間、
戻れなくなる。
■ 8. 鏡の中
ある体験者は、
うっかり鏡を見てしまった。
洗面台の鏡。
そこに映っていたのは――
少し遅れて動く、自分。
瞬きをすると、
鏡の中の自分は、
ワンテンポ遅れて瞬いた。
笑うと、
鏡の中は、
少しだけ歪んだ笑顔を返した。
その瞬間、背後から声がした。
「やっと、来た」
■ 9. “数”
部屋の数を数えてはいけない、
という話もある。
数え始めると、
自分が何番目なのか分からなくなるからだ。
1番目の自分。
2番目の自分。
3番目の自分。
では――
今、数えている自分は?
■ 10. 管理人の噂
このマンションには、
管理人がいる。
年齢不詳。
いつも同じ服。
昼でも夜でも、
同じ場所に立っている。
住人が話しかけると、
必ずこう言う。
「部屋は、足りていますか?」
意味が分からず笑うと、
管理人は、
ほんの一瞬だけ困った顔をする。
まるで、
「足りないと困る」
と言わんばかりに。
■ 11. 消えた住人
過去に、
何人かの住人が失踪している。
夜逃げ、行方不明、
書類上はそう処理された。
だが、
共通点がある。
・部屋が異常に片付いていた
・家具が最初からなかったことになっている
・住民票の履歴が、途中で曖昧になる
まるで――
最初から存在しなかったかのように。
■ 12. 最後の部屋
噂の中で語られる、
最深部の部屋。
そこには、
家具が何もない。
床に、
白いテープで四角が描かれている。
ちょうど、
人一人が横になれるサイズ。
壁には、
こう書かれている。
「ここが、あなたの部屋」
■ 13. 帰還
運よく戻れた人もいる。
扉を閉め、
元の部屋を思い出し、
目を閉じる。
気づくと、朝。
いつもの6畳。
何事もなかったように。
だが――
間取り図が変わっている。
クローゼットが、
少しだけ広い。
■ 14. 現在進行形の噂
この話には、
続きがある。
今も、
どこかで部屋は増え続けている。
空室がある限り、
人が住む限り、
「足りない」と思う限り。
そして――
もし、あなたが今夜。
・自分の部屋が狭いと感じたら
・壁が近い気がしたら
・見覚えのない扉を見つけたら
どうか、
数えないでほしい。
その部屋が、
何番目なのかを。
……さて。
ここまで読んでくれたあなた。
今、
自分の背後の壁、
ちゃんと覚えていますか?
本当に――
最初から、
その位置でしたか?
信じるか信じないかは、
……あなた次第です。